ロールキャベツはもうコリゴリだァ

手順化された自炊という作業

自分は、毎週日曜日に一週間分の調理を一度に完了させる。

食材を適切な形や大きさにカットし、調味料で味付けし、適切な手段で加熱するというプロセスは、なるべく並行して実行した方が楽だからだ。

一人暮らしで消費できる量には限りがあるため、購入する食材もある程度限定される。どの食材もある程度はカットや味付けの手段は確立されているから、先にそれを済ませてしまえば、後はそれぞれをどう組み合わせるかを考えるだけで自然と調理が完了する。

自分はとにかく「手順化」が好きだ。どんな高度で有機的に見える仕事も、きちんと目的を明確にして、それを達成する手段を列挙し、それぞれのメリットとデメリットを明確にすれば、100点とはいかずとも60点ぐらいは取れる。それがプログラミングだろうが、プロダクトマネジメントだろうが、洗濯だろうが掃除だろうが「手順」に分解してしまえばよい。自炊もその対象だ。

「魔が差す」ということ

さて、このような考え方で自炊をする人間は、当然ながら面倒なレシピに挑戦することはほとんどない。少ないコストでそれなりに満足できる食事ができればそれでよいのだから、わざわざ自分の「手順」から外れた失敗確率が高いレシピに挑戦する必要がないのだ。

しかし、何を血迷ったかその日は「ロールキャベツを作ろう」と思ってしまった。

ところで、皆さんは登山時の悲惨な事故をニュースで目にしたことはあるだろうか。どんな熟練の登山家も、ふとしたきっかけで思わぬ遭難事故に巻き込まれ、しばしば死亡してしまう。山の世界では「魔が差す」としか言いようがない事故がしばしば起きるのだ。ましてや、登山の初心者であれば「魔が差」した時のリスクは計り知れないであろう。

山の世界では「魔が差す」としか言いようがない初歩的な事故が起こることが珍しくない。

【スポーツ異聞】女性登山家・谷口けいさんの滑落死から何を学ぶのか? 山のトイレ事情と「用足し」論(2/3ページ) - 産経ニュース より

ロールキャベツと「魔が差す」

崇高な高みにある登山家たちを引き合いに出すのはあまりにも恐れ多いが、自炊経験の浅い自分もまた「魔が差」してしまった。ロールキャベツは「キャベツをカットせずに下茹でする」「味付け済みひき肉をキャベツで包む」「ひき肉を包んだキャベツをきれいに敷き詰めて数時間煮込む」という非常に手間のかかる工程によって完成する料理であり、誰がどう考えても「手順化された自炊という作業」とは程遠いものである。しかし、「なんとかなるだろう」と高をくくった自分は、間もなく痛い目に合うこととなった。

(賢明なら) 予想できた結果

小さすぎるキャベツの葉

さて、いつも通りキャベツを四等分にカットしてから調理を始めた自分は、まず「キャベツをカットせずに下茹でする」という最初のステップでつまずくことになる。とりあえず下茹でして柔らかくしたキャベツでひき肉を包もうとするものの、どの葉っぱもあまりにも小さすぎて到底包みきれるものではなかった。

「カットと加熱を並列する」という前提の崩壊

仕方ないので、一つの肉だね(味付け後のひき肉を丸めたもの)を複数の葉っぱで多重に包み、無理やり敷き詰めて煮詰め始めた。しかし、最初からレシピをすべて確認せずに進めてしまった自分は、「2時間煮込む」と書かれたレシピを見て閉口してしまった。この家にはIHコンロが一つしかないので、ロールキャベツを作っている間は他の料理を作るのが難しくなる。

不可逆的に破壊された"ロールキャベツ"

とりあえずほうれん草やニンジンをカットし、レンジ加熱で完成するレシピを調べながら煮込み終わるのを待った。 するとどうだろう、たった30分でキャベツは瓦解し、一部は肉汁が漏出してしまった。

こうなったらもう、どうしょうもない。ロールキャベツは解体し、肉だねとキャベツをほぐしてカレーに入れることにした。

まとめ

タイトルでは「ロールキャベツはもうコリゴリだァ」と述べているが、自分はロールキャベツそのものに懲りるのではなく、手癖でキャベツを4等分したり、無計画に思いつきのレシピを採用したりする行為に懲りるべきだ。

今後は以下に示す反省を踏まえ、計画的にロールキャベツを量産できる体制を整えようと思う。

食材のカットや加熱は不可逆である

実行前に目的のレシピを確認し、そのカットや加熱が本当に必要な行為か考えるべき

コンロを長時間専有するレシピは最後に

カットと加熱を並行して実施するなら、コンロをあまり専有しないレシピを採用すべき